崇徳院の遺作 ― 藤原顕広への長歌

崇徳院が讃岐で崩御された後、その御供だった方の辺りから、
「このようなこともあるかもしれないから」と
折った紙に院が直筆で書かれたという歌が伝え送られてきた。

と、藤原(葉室)顕広が「長秋詠藻」に書き残している崇徳院長歌反歌
讃岐巡礼から帰り、新院セミナーの報告を途中で放置して、一気に訳しました。

6/4〜6に訳したものの、間違いがあるかもとアップせずにいたのですが、
今日、井浦新さんが大河ドラマ平清盛」の崇徳院の最期を撮影していると聞いたら、
せつなくなって、"弔い"の気持ちで上げました。 (ノ_・。)しくしく


藤原(葉室)顕広とは、西行と並び平安末期を代表する歌人
藤原俊成のことです。

あの藤原道長の子孫でありながら
幼くして両親を亡くしてみなし子となり
藤原(葉室)顕頼の養子となりました。

出世もままならず不遇だった俊成の、
その歌才をいち早く見抜き引き立てたのが崇徳帝でした。

崇徳帝にすれば、捨て犬を拾うぐらいの感じだったのかもしれませんが^^

崇徳帝が1119年生まれ、藤原俊成(顕広)が1114年生まれです。



長歌反歌は、
川村晃生・久保田淳共著「和歌文学大系22 長秋詠藻/俊忠集」(明治書院
に基づいて訳しました。

在原行平小野篁の歌の訳は
「新編日本古典文学全集11 古今和歌集小学館 p.363
よりそのまま引用させていただきました。


脚注で原文をつけたのは、特に訳に自信がない箇所です。(>д<;)

BGMはカッチーニのアヴェマリアで――

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昔 在原行平は詠んだという

「わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に もしほたれつつ わぶとこたへよ」

 たまさかにでも私の消息をきいてくれる人があったら、
   彼は須磨の浦で、藻塩草から潮水が垂れる様に涙をこぼしつつ
     心細く暮らしていると答えてください

また 小野篁

「思ひきや ひなの別れに おとろへて 海人のなはたぎ いさりせむとは」

 考えてもみなかったことよ
   親しい人たちと別れて遠い田舎で心身ともに弱り果てたあげく
     漁師の使う縄を引いて魚をとろうとは

と詠んだという



その和歌は聞き知っていたが

夢にも思わなかった


  
まさか自分が同じ境遇に陥るとは




水底に沈んでしまった破舟のような我が身の上に呆然としている間に

年月は空しく過ぎてしまった




慣れない杉の板葺きに一睡もできない時は思う


 きっと前世でおかした罪のせいなのだろう

 そうでなかったらこれ程 悲しい思いをすることはあるまい と




嵐の激しい風に乱れる野辺の糸ススキ

その葉末にかかる露程に儚い我が身を

そのまま葉に留め置くのは難しく思えたから

治世のことは胸の奥にしまい

出家を思いたった



涙で袖も我が身も朽ち果ててしまったが

さすがに昔のことを忘れることはない


宮中の月を眺め

院御所の菊を折っては和歌を詠み

時につけては皆で歓談し 幾年も過ごした事は ――





今は都から遠く離れ

仲間からの言伝も 知人からの手紙も

途絶えてしまった




「だが昔の心が変わったわけでない」

そう何度も言い聞かせている*1


まだ泉のように和歌が湧くだろうに

その歌の深い情緒を汲める者はほとんどいないのだろうか

おまえが

改めて言うまでもなく悲しい中国の「伯牙絶絃」の故事に倣い

和歌を絶ってしまったと聞いた



私は 根が切れて深い沼の上を漂う

真菰の葉のような我が身を儚み出家した


でもおまえは 手紙も絶え 離れ離れになったそんな私を

大事に思ってくれているのだろうか



私は浅はかだから

いつかそのうち自分で悟りを開くというのは難しいだろうが

煩悩に彷徨うこの暗き世から出るために仏道に入ったのだから

一度「南無」と唱えた人間を見捨てないという光の仏――阿弥陀如来の導きで

花が降りしきる木の下に

玉をひきつめたような白砂広がる地――浄土に転生する時が来たら

おまえと仏縁が同じ身となって

虚しい煩悩に染まった和歌を 真の仏法に転じるまで 

共に語り合いたいものだ――


それだけを思っている私の心を

  おまえはわかってくれるだろうか わからないというのだろうか ――




ゆめのうちに なれこしちぎり くちもせで さめんあしたに あふこともがな


この世で慣れ親しんだ縁が朽ちることなく


 煩悩に満ちた夢から醒める朝――


―― 来世でもおまえに逢えたらよいのになあ




*1:「もとのこころし かわらずば ことにつけつつ」