「久安百首における崇徳院の長歌」追記

外に出たついでに「千載和歌集」を立ち読みして、
前記事の訳に間違いがないかチェックしてきました。

案外、間違えていなかったのですが、
「思いながら」の「ながら」が「長柄橋」との掛詞というのを
完全に見落としていたので、加筆訂正しました。

他はまあ・・・ 私の訳は ク ド い な、と思っただけです。


歌や古文の知識は未熟であっても、辞書をひいて自分で訳していくと、
歌やその歌が詠まれた心に向き合えていける気がします。

・・・きっと気のせいでしょうけど。(^^

この長歌もただ原文を眺めていた時は気づきませんでしたが、
訳していると、
案外、評判を気にする方だったのかな、
とか、
拙い自詠は残したくない、という辺り、案外、
完璧主義者だったのかな、などとと感じたりもしました。

・・・合っているかどうかは別として。(^^


崇徳天皇御製集」に御製は166首しか収められていません。

ということは、
久安百首を除けば、66首しか残らなかったということですよね。

配流先で詠まれた歌は、死後、
第二皇子・覚恵の元に届けられたはずなのに、
勅撰和歌集や私撰集に入った歌以外伝わっていないのが、不思議でしてね。

何とはなしに、

どこかに秘匿されているのかなあ、
それとも
怨霊騒ぎで「呪われている」と宸筆が焼却されてしまったのかなあ、

と邪推したりしていたのですが、

拙い自詠は残したくない、と思われていたのなら、
彼の遺言で撰ばれなかった歌が消された可能性もあるのだなあ、と、

また別の想像が膨らんだりもしました。

・・・合っているかどうかは別として。 (^^A



でも・・・
拙い歌こそ、詠み手を身近に感じられて楽しいんですけどね。o(;_;o)