藤原顕広から崇徳院への返歌


都にいらっしゃた時、和歌の道でもお仕えする人は多かったのに、
とりわけ思い出していただいたことがとても悲しくて、
人に知られないようお返しとして書いて、愛宕山辺りに送った歌

崇徳院の遺作への顕広の返歌を現代語訳してみました。

川村晃生・久保田淳共著「和歌文学大系22 長秋詠藻/俊忠集」(明治書院
に基づいて訳しています。


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須磨の浦で藻塩からしたたる潮水のように涙を流して暮らしたという業原行平でさえ

今の私達が経験したことからすればやはり

辛い目にあった先例と呼ぶには軽いでしょう



ああ 辛いことの多いこの身の上

その昔を思い出す度に悲しいのは

荒れた宿の壁に生える舟腹草(みなしご草)のようにみなし子になってからというもの

空を飛ばずに古巣の葦辺に残る鶴のように

昇殿が叶うことなく年月を過ごしたこと


それが初めて貴方の御代になって宮中の階段を踏み通うようになり

貴方の尊顔に近づいて 時につけては

ぼんやり時を過ごしているようには見えない仲間の輪の末席に連なって

桜咲く春から

 ホトトギスが鳴くのを待つ夏の暁

  月を見る秋の夜

   宮中に降り積む雪を眺める朝まで

共に和歌を詠んでいると 思い煩うことも心が晴れたものでした



その御所を出られたことでさえ

貴方の袖に凍りついた涙はいかほどだったでしょうか――


かきりあれは あまのは衣 ぬきかへて おりそわつらふ 雲の梯*1
(限りがあるので殿上人から地下人の衣裳に脱ぎ替え、降りて辛い想いをする宮中の階段であるよ)

の歌のように院御所に移られてからも

菊を手折って和歌を詠んでいれば年月が過ぎるのも忘れたのに


なぜ吹いてしまったのでしょうか

あの初秋の嵐は――




山城国の鳥羽の田に日が沈み

森の松に風がうら寂しく打ちつける中

悲しみに暮れ 火葬の煙が夕の雲となるのを見送った時


人の心もみな野辺の萱原のように乱れ彷徨う有様は

夢なのか現実なのか

私には区別がつきませんでした



そして改めて言うまでもなく

虚舟の身(上皇)である貴方が大海に漕ぎ離れ

波路遥かに隔たれてしまったと聞いた時の

別れの悲しみは喩えようがありませんでした


渚で海人が刈る藻をいくら掻いて集めても乱れるように

 思い乱れるこの心を手紙に書いても送る方法もなく

たとえ虚空(大空)を仰いでも

 遥か遠い松山の峯の白雲に分け入ることができるのは心だけ


形見と留め置いた和歌を見れば 涙も諸共に

玉が連なるように次々と

 貴方の美しい声が聞こえ

錦を織り成すように

 私の頬を紅涙がつたうのです



このようなことは

昔も これから先にも例があるでしょうか――



それでも年月は移り行き

和歌の道も元のように戻っていき

宮中の月に誘われることも

毎晩であったり 稀にあったりもしましたが


月を前にすれば

 昔のことが思い出され

桜の下に立てば

 貴方を想い出すのです


ただもう永遠に嘆き

 いつもと変わらない沈淪の身となり

琴の音を絶ったという故事に寄せて

 和歌はもう絶ちましたと言い逃れながら

心が一つになってしまった悲しみに

揺れ動く草葉にも袖をぬらして暮らしていると

稀に貴方を真似たような言葉をかけられる時もありましたが

すぐに飽きたのか露のように消え

歌の深い情緒まで理解できる人もいなくなりました


それでも 万に一つでも

京に帰られることもあるのではと思っていたのに

ついに遠く離れた地で

秋の空に月が隠れるように

 旅の露となってしまわれたと

潮路を隔てて吹く風のつてに聞こえた夕べから


 もはや儚い夢の中――この迷妄に満ちた現世でお会いすることはないのだ


と泣きながらも

思うのです


せめて来世では仏縁あって

 同じ蓮の池に生まれ変わることができたら と――


それに


昔の歌人たちも 今生きている歌人たちも 和歌の道に心を惹かれる人々なら皆

 貴方の歌を縁として 同じ御国に導かれないでいられましょうか と――



さきだゝむ 人はたがひに 尋見よ 蓮のうへに さとりひらけて

悟りをひらいて蓮の上に先に赴かれた人達は
代わるがわる互いに探し訪ねて会ってください

現世と同じく極楽浄土でも貴方が和歌を再興されるのを祈っています

*1:拾遺和歌集 第十七巻(雑三) 979 源経任 六位蔵人から五位になった時の歌。六位蔵人は六位ながら天皇の給仕をするため殿上人として扱われた。六位蔵人の最高位を6年勤めると自動的に五位に昇進する決まりがあったが、五位蔵人に空きがない場合はただの五位の朝臣として地下人にならなければならなかった。(Wikipedia「六位蔵人」より)