藤原俊成(顕広)

久安百首における崇徳院の長歌

しきしまの(や) やまとのうたの つたはりを きけははるかに ひさかたの あまつかみよに はしまりてみそもしあまり ひともしは いつものみやの やくもより おこりける(り)とそ しるすなるそれよりのちは ももくさの ことのはしけく ちりちりに かせにつけつつ…

補記2【山城の鳥羽田】

■ ■保元の乱は初秋 いかにふきにし はつあきの あらしなりけむ やましろの とはたのおもに ひかけくれ もりのまつかせ かなしみて ゆふへのそらと なりしとき ことのこころも おしなへて のへのかやはら みたれつつ まよひしほとは うはたまの ゆめうつつと…

崇徳院と顕広の長歌 補記1【参考文献等】

■ ■崇徳院と顕広の長歌自体(原文)は、和歌データベースでも御覧になれます。ただし、和歌データベースに載っている長歌と、私が参照した 『和歌文学大系22 長秋詠藻・俊忠集』に載っている長歌では微妙に文句が異なっておりますのでご注意ください。和歌デー…

藤原顕広から崇徳院への返歌

■ 都にいらっしゃた時、和歌の道でもお仕えする人は多かったのに、 とりわけ思い出していただいたことがとても悲しくて、 人に知られないようお返しとして書いて、愛宕山辺りに送った歌 ■ 崇徳院の遺作への顕広の返歌を現代語訳してみました。川村晃生・久保…

崇徳院の遺作、ちょこまか訂正しました

藤原顕広をわざと葉室顕広と表記したのは、葉室という響きが好きだったのと、長歌に葉っぱがよく出てくるのって関係あるのかしらーと思ったからだったのですが、よくよく考えると、藤原(御子左)俊成とか御子左大納言*1とは言っても御子左俊成とは言わないよ…

崇徳院の遺作 ― 藤原顕広への長歌

崇徳院が讃岐で崩御された後、その御供だった方の辺りから、 「このようなこともあるかもしれないから」と 折った紙に院が直筆で書かれたという歌が伝え送られてきた。 と、藤原(葉室)顕広が「長秋詠藻」に書き残している崇徳院の長歌・反歌を 讃岐巡礼から…