崇徳院の遺作、ちょこまか訂正しました

藤原顕広をわざと葉室顕広と表記したのは、

葉室という響きが好きだったのと、

長歌に葉っぱがよく出てくるのって関係あるのかしらー

と思ったからだったのですが、よくよく考えると、

藤原(御子左)俊成とか御子左大納言*1とは言っても

御子左俊成とは言わないよねー

ということで、普通に藤原顕広に戻しました。 orz ごめんなさい



藤原だろうと葉室だろうと、当時は官職で呼ばれたと思います。

顕広(俊成)の場合は、


加賀守→遠江守→三河守→丹後守→左京権大夫→

左京大夫右京大夫→皇太后宮大夫→辞職・出家


みたいな?

久安百首の時は「丹後守」顕広ですね。


あと、長歌の最後の方の

 契おなじき 身となりて むなしき色に そめおきし
 言の葉ごとに ひるがへし まことの法と なさんまで
 あひ語らはむ ことをのみ 思ふ心を 知るや知らずや

の部分、そしてそれに続く反歌の訳を微妙に変えました。

*1:御子左家の祖・藤原長家

崇徳院の遺作 ― 藤原顕広への長歌

崇徳院が讃岐で崩御された後、その御供だった方の辺りから、
「このようなこともあるかもしれないから」と
折った紙に院が直筆で書かれたという歌が伝え送られてきた。

と、藤原(葉室)顕広が「長秋詠藻」に書き残している崇徳院長歌反歌
讃岐巡礼から帰り、新院セミナーの報告を途中で放置して、一気に訳しました。

6/4〜6に訳したものの、間違いがあるかもとアップせずにいたのですが、
今日、井浦新さんが大河ドラマ平清盛」の崇徳院の最期を撮影していると聞いたら、
せつなくなって、"弔い"の気持ちで上げました。 (ノ_・。)しくしく


藤原(葉室)顕広とは、西行と並び平安末期を代表する歌人
藤原俊成のことです。

あの藤原道長の子孫でありながら
幼くして両親を亡くしてみなし子となり
藤原(葉室)顕頼の養子となりました。

出世もままならず不遇だった俊成の、
その歌才をいち早く見抜き引き立てたのが崇徳帝でした。

崇徳帝にすれば、捨て犬を拾うぐらいの感じだったのかもしれませんが^^

崇徳帝が1119年生まれ、藤原俊成(顕広)が1114年生まれです。



長歌反歌は、
川村晃生・久保田淳共著「和歌文学大系22 長秋詠藻/俊忠集」(明治書院
に基づいて訳しました。

在原行平小野篁の歌の訳は
「新編日本古典文学全集11 古今和歌集小学館 p.363
よりそのまま引用させていただきました。


脚注で原文をつけたのは、特に訳に自信がない箇所です。(>д<;)

BGMはカッチーニのアヴェマリアで――

                                                                                                                                                  • -

昔 在原行平は詠んだという

「わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に もしほたれつつ わぶとこたへよ」

 たまさかにでも私の消息をきいてくれる人があったら、
   彼は須磨の浦で、藻塩草から潮水が垂れる様に涙をこぼしつつ
     心細く暮らしていると答えてください

また 小野篁

「思ひきや ひなの別れに おとろへて 海人のなはたぎ いさりせむとは」

 考えてもみなかったことよ
   親しい人たちと別れて遠い田舎で心身ともに弱り果てたあげく
     漁師の使う縄を引いて魚をとろうとは

と詠んだという



その和歌は聞き知っていたが

夢にも思わなかった


  
まさか自分が同じ境遇に陥るとは




水底に沈んでしまった破舟のような我が身の上に呆然としている間に

年月は空しく過ぎてしまった




慣れない杉の板葺きに一睡もできない時は思う


 きっと前世でおかした罪のせいなのだろう

 そうでなかったらこれ程 悲しい思いをすることはあるまい と




嵐の激しい風に乱れる野辺の糸ススキ

その葉末にかかる露程に儚い我が身を

そのまま葉に留め置くのは難しく思えたから

治世のことは胸の奥にしまい

出家を思いたった



涙で袖も我が身も朽ち果ててしまったが

さすがに昔のことを忘れることはない


宮中の月を眺め

院御所の菊を折っては和歌を詠み

時につけては皆で歓談し 幾年も過ごした事は ――





今は都から遠く離れ

仲間からの言伝も 知人からの手紙も

途絶えてしまった




「だが昔の心が変わったわけでない」

そう何度も言い聞かせている*1


まだ泉のように和歌が湧くだろうに

その歌の深い情緒を汲める者はほとんどいないのだろうか

おまえが

改めて言うまでもなく悲しい中国の「伯牙絶絃」の故事に倣い

和歌を絶ってしまったと聞いた



私は 根が切れて深い沼の上を漂う

真菰の葉のような我が身を儚み出家した


でもおまえは 手紙も絶え 離れ離れになったそんな私を

大事に思ってくれているのだろうか



私は浅はかだから

いつかそのうち自分で悟りを開くというのは難しいだろうが

煩悩に彷徨うこの暗き世から出るために仏道に入ったのだから

一度「南無」と唱えた人間を見捨てないという光の仏――阿弥陀如来の導きで

花が降りしきる木の下に

玉をひきつめたような白砂広がる地――浄土に転生する時が来たら

おまえと仏縁が同じ身となって

虚しい煩悩に染まった和歌を 真の仏法に転じるまで 

共に語り合いたいものだ――


それだけを思っている私の心を

  おまえはわかってくれるだろうか わからないというのだろうか ――




ゆめのうちに なれこしちぎり くちもせで さめんあしたに あふこともがな


この世で慣れ親しんだ縁が朽ちることなく


 煩悩に満ちた夢から醒める朝――


―― 来世でもおまえに逢えたらよいのになあ




*1:「もとのこころし かわらずば ことにつけつつ」

矢島健一さんについて


(司会)一番いっしょにいらっしゃることが多い、崇徳上皇にずっと寄り添っている
藤原教長役の矢島健一さんとはどのような感じだったのでしょうか?

ずっといっしょにいてくださったので ―
崇徳を支える教長*1としても、現場の裏側でも、
自分を本当に優しい目でずっと見つめてくれていて、
「大丈夫か?」
とか、お芝居が終わった後に必ず声をかけてくれて、気遣いをしていただいて ―
正直、ここまでやってきているのは、
矢島さんの精神的な支えというのがとても大きいと思います。

(司会)いい意味でのアドバイスとか?

アドバイスとかそういう ― そういうことではなくて、もっともっと ―
もっと僕に寄り添ってくれる、本当に教長のように、
(そば)にいつもスッと寄ってきてくれて、気づいたら傍にいてくれて
なので、お芝居の中で突然自分が感情的に起こしてしまったアドリブみたいなものを、
すぐにキャッチしていただいて、その場で教長としての芝居をしてそれに寄ってくれる ―
そういうことができる関係の2人になっていったのも、お芝居だけじゃない裏の部分でも、
ちゃんと見ていたりコミュニケーションできていたのが大きいと思います。


まさに阿吽の呼吸の2人ですよね^^

矢島さんが井浦さんにずっと寄り添われていたのは、
教長役に入り込んでらした部分もあったのでしょうが、
俳優・大河ドラマの大先輩としてという部分、
ご本人のお人柄に寄るところも大きいのでしょうね。

井浦さんがおっしゃったアドリブというのは、第16話のエピソード
ttp://www.nhk.or.jp/takamatsu/kiyomori/sutoku/interview16.html
(いわゆる"ローリング崇徳")のところでしょうか。

井浦さんは他の作品のインタビューでも共演者を讃えるコメントが多く、
読む度聞く度、とても素敵だなあと思います。

またセミナーの後半、
昨日放送された「勝利の代償」の山中のシーンを会場で御覧になった際も、

やっぱりこうやって見ても
教長の存在というのが崇徳の気持ちをさらに表してくれているんだなあ
というのをまたさらに認識しました。

と、教長(矢島)さんについてコメントされていました。

*1:教長(のりなが)の話になる前が頼長(よりなが)だったので、
斜体にした2箇所の「教長」は間違えて「頼長」とおっしゃいましたが、
2回間違われた時点で磯Pに耳打ちされて言い直されました。

0-2 ゲスト紹介


(司会)「平清盛」は51作目の大河ドラマ
平家物語」ではアンチヒーローとして描かれる平清盛を、
エネルギーと躍動感あふれる1人の若者として描いています。

先週は保元の乱が勃発しました。
今日お越しの皆様は
崇徳上皇様は一体どうなってしまうのか」
と気になさっていると思います。
今日はその辺のお話もしっかり伺って参ります。

では、まずは、今日お越しのゲストの ―― 映像をご覧下さい。

ゲストが来ると思っていたら映像だったので、
客席から笑いが起きました。

映像は過去放送分の崇徳上皇のアップばかりで、
見ている方が照れました/// (*ノノ)



(司会)いよいよ本物の登場です。
大河ドラマ平清盛』で崇徳上皇を演じてらっしゃる井浦新さん、
そして制作統括の磯智明プロデューサーです。どうぞ。

そして、お2人登場。

井浦さんのファッションはこれでした。↓
http://photozou.jp/photo/show/2030780/137915677

井浦さんは坂出のセミナーが終わった後、そのまま大阪に移動されて、
第七藝術劇場での舞台挨拶に出られたので、服装がいっしょなんです。

さすがにそこまで追いかけるのは気がひけたので行かなかったんですけど、
写真OKな上サインもらえたそうで、それは行きたかったなあ、とww

髪型はカンヌ映画祭の時と同じくオールバックで、
眼鏡はかけてらっしゃいませんでした。
眼鏡なしの方が好きな私、歓喜

ループタイは、遠目だったので間違えているかもしれませんが、
新院ナイト@歌舞伎町と同じものだったと思います。



(司会)お2人のプロフィールを簡単に紹介します。
井浦さんは映画「ワンダフルライフ」で俳優デビュー。
以降、映画・ドラマ・舞台等でのご活躍は皆さんご存知のところです。
NHKでは土曜ドラマチェイス」などに出演されていらっしゃいます。
大河ドラマへの出演は今回が初めてということですね。

(井浦)はい。

(司会)それではお隣の磯智明プロデューサーです。
名古屋放送局からドラマ部に採用されまして、
これまで大河ドラマ毛利元就」「風林火山」などを演出されてきました。
今回「平清盛」制作統括を担当されています。

井浦さん、香川は何度もいらっしゃっているんですよね?
今回で何回目でらっしゃいますか?

(井浦)えーっと ―― 4回目か5回目ですね。

(司会)讃岐うどんもお好きだとか。

(井浦)讃岐うどんも食べに来ていますし、色んな美術館や史跡めぐりにも来ています。

(司会)磯さんは今回香川は初めて・・・?

(磯P)ドラマのロケでは来たことがあるのですが、ちゃんと来たのは、そうですね。

(司会)じゃあ坂出を楽しんでいってください。

0-1 前座

12時55分頃、まず女性アナウンサーが登場し、
写真・ビデオ撮影のお断りと拍手の方法を伝授して下がりました。

そして、司会の廣瀬雄大(ひろせゆうた)アナウンサー登場。

(司会)今日は700人、全国からお越しです。
どこから来られたか挙手をお願いしてもいいですか?

四国・中国の方? →大半。
九州の方?    →反応なし?
近畿の方?    →数名挙手。会場どよめき。
関東の方?    →数名挙手。会場どよめきと拍手。
東北の方は?   →手挙がらず。


えーっと・・・どよめかれたのですが、
坂出−新大阪・京都間なんて3時間かかりませんよぅ ^^A

結局、挙手された方の中では埼玉の人が一番遠いということに。

廣瀬アナは最後に、

ぜひ讃岐うどんを召し上がって帰ってくださいね☆

と、しっかりうどんアピール。 \もちろん食べましたよー/


しばらく間をおいて、いよいよ ―― セミナー開始!

0-0 序

6月3日(日)、NHK公開セミナー 大河ドラマ平清盛in坂出に行って参りました。

会場は坂出市民ホール坂出市京町2-1-13)。
JR坂出駅から北に徒歩5分ぐらいだったでしょうか。

朝、史跡を巡り、11時30分頃に着いたのですが、
その時間ですでに30人ぐらいはお待ちでした。

小雨がぱらつく中、ぼんやり立って待っていると、
後ろの方から聞こえてくるのは、

「朕は朕の思う政(まつりごと)がしたい!」

若い女性の声でしたが、かなり似ていて、
そのセリフはヤメローwww キッスをおみまいするぞー
と、笑いたくなるのを必死にこらえました。
でも、背中はプルプルしていたかもね ― うん、贅肉が。

12時30分開場の予定でしたが、小雨への対応として、
11時30分頃から12時には建物内への入場が許可され、
予定の5分前、12時25分には開場されました。
開演・終演は予定通り13時・15時頃でした。

主催はNHK高松放送局、坂出市、NHK文化センター高松支社なのですね。
坂出市はうどん局にホールを無償で貸したのでしょうか。
NHKはお金持ちなんだからがっつり儲ければいいのにw でもきっと、
市制式典に井浦さんを呼べたという大きな借りがうどん局にありますよねww
文化センターは・・・来場者への配布物に講座の広報チラシを入れるために
主催者に名を連ねていたのかしら。

なお、セミナーの様子はNHK総合テレビの番組崇徳上皇 × 井浦新として、
平成24年6月24日(日)19時30分〜19時55分
平成24年6月30日(土)10時05分〜10時30分(再)
に放送されるようですが・・・

放送されるのは香川県域だけって・・・ orz

・・・だ〜か〜ら〜!!!

あの充実した内容を全国放送しないって、

どんだけドSなんだあああ、うどん局!!!